TOMODACHI世代:阿部 志帆
阿部志帆さんは石巻市立女子高等学校の 3年生です。彼女はTOMODACHI-MUFG国際交流プログラムに参加しカルフォルニア州で集中英語プログラムそしてホームステイでの文化交流を通してアメリカを経験しました。
私は、宮城県石巻市から参りました石巻市立女子高校3年の阿部志帆です。私は、今年の夏休みにTOMODACHI・MUFG国際交流プログラムに参加し南カリフォルニアに行って来ました。このような機会を与えて下さったルース駐日大使、米日カウンシルの皆さま、そしてMUFGほか関係者の皆さまに感謝申し上げます。 また、本日このような名誉ある機会にお招きいただき本当にありがとうございます。
昨年の震災当日、私は母と妹と自宅にいました。午後2時46分、私たちは強い揺れを感じました。揺れが治まった後、近くに住んでいる祖母を車でいとこの家に送り、私たちは避難用の荷物を取るために家に戻ろうとしました。しかし、前から後ろから津波に挟まれてしまい、車から降りて近くの民家に逃げ込みました。家に入ると、一瞬のうちに水に飲み込まれてしまい、気づいた時には首まで水に浸かりながら必死になって浮いていました。その家には30代のお兄さんとその祖父母がいました。お兄さんは小さな脱出口を作って脱出し、おじいさんを助けようとしました。しかし、寒さに体力を奪われていたため外に出ることは困難でした。そのため、お兄さんは出口の近くにいた私の妹を救出し、次に私を助けてくれました。しかし、1時間以上水に浸っていた私は寒さで意識がなく、背負っていたリュックにハンガーを引っ掛けて助けてもらいました。意識が戻ったのは5,6時間後で、目が覚めた時には自分が生きているという実感も湧きませんでした。お兄さんは母も助けようとしてくれたそうですが、すぐに第2波が来てしまい母は助かることができませんでした。 この津波で母と家を失い、とても悲しい気持ちで親戚の家で避難生活をしていました。ある日、米軍の慰問演奏があり、私たちを励ましたり話しかけてくれました。この時、英語で話すことの楽しさやアメリカに対する関心が強くなりました。
そして、この夏TOMODACHIのプログラムに是非参加したいと思い応募しました。ホームステイでは大切な新しい家族ができましたし、様々な人との交流や活動を通して将来の夢を見つけてくることができました。海外で活躍する日本人や架け橋になっている人を見て、目の前にある扉を開ける勇気と大切さを肌で感じることが出来たのです。私は今回の経験を被災地の人たちに伝えて復興の力になりたいです。また、日本を助けてくれた米国など外国の国々にいつか恩返しがしたいと思っています。その第一歩として、私は高校卒業後に米国留学をしたいと思っています。アメリカの教育や生活習慣に興味があり、小さい時から大好きだった英語を上達させたいと思ったからです。そして将来は、英語を使った仕事をしながら国際交流やボランティア活動などに取り組みたいと思っています。