プログラム参加者・TOMODACHIアラムナイに聞いてみました!:東川結氏
今回のインタビューは、「2022年度TOMODACHI Story Jam for Youth with Disabilities」の卒業生、東川結氏にお話を伺いました。
東川氏は現在、東京の分身ロボットカフェ「DAWN ver.β」でOriHimeパイロット(OriHimeを遠隔操作して働くメンバー)の一人として働いています。また、アーティストであり、パステルアートのインストラクターもしています。障害者のためのアドボカシーと、よりインクルーシブなコミュニティを育み人々を結びつけるための場として、アートを活用することに情熱を注いでいます。
Q1: TOMODACHI Story Jam for Youth with Disabilitiesに参加しようと思った理由は何ですか?
ハイケ・ボエルチッグ・ブラウン博士(シニア・マネージャー 国際パートナーシップ マサチューセッツ州立大学ボストン校 地域インクルージョン研究所)からこのプログラムの話を聞き、より自立するためにはどうすればよいか以前より悩み奮闘していた自分の話を、他者と共有したいと思いました。親と一緒に決断することは本当にもどかしかったです。特に、一人暮らしを始める前は、親の意見は扱いにくく大変でした。「自分で自分自身のことを決めるのは良くない 」と思っていたからです。でも、そんなことはないのです。自分で決めて、自分で道を切り開いていけるのです。だから、私と同じような経験をした人たちに、私の話を伝えたいと思ったのです。今は、両親ととてもうまくやっています。
Q2: プログラム中での一番の思い出は何ですか?
TOMODACHI Story Jam for YOuth with Disabilitiesのメンバーとの会話です。日本のことをとても気に入ってくれていて、私の声をいつも「かわいい」と言ってくれるので、とても嬉しく思っています。
Q3: プログラムで何を学びましたか?
このプログラムから学んだことはたくさんありますが、特に今は東京でOriHimeパイロットとして働いているので、英語でのコミュニケーション能力がもっと必要です。間違えたとしても、ずっと話し続けなければなりません。自分の話をどのように英語で表現し、説明できるのかがわかるようになるために、英語のスキルはより重要なのです。
プログラムは私にとってとても良い経験でした。
Q4: 東京の分身ロボットカフェDAWN ver.βでのウェイトレスのお仕事について教えてください
私はOriHimeパイロットとして働いていますが、現在同僚は70人ほどいます。ロボットは2種類あり、数は非常に多いです。ひとつは小さいOriHime、もうひとつは大きいOriHime-D。大きい方はお客さんに飲み物を運んだり、歩いたりできます。小さい方は普段はテーブルの上にあり、人と話をしたり注文を受けたりします。
実は、私は操作が得意ではないので、小さい方でお客さんと話をする方がより好きなんです。大きい方を操作していると、店内でよく迷子になってしまいます。
Q5: アーティストとして、またパステルアートのインストラクターとしての活動について教えてください
子供の頃からのリハビリみたいなものです。私は脳性まひで、本来10月に生まれるはずでしたが、8月に生まれました。2カ月早く誕生したのです。
日常生活では車椅子に乗っているので、リハビリが必要なのです。絵を描くことが最適でした。おそらく5歳くらいのときに絵を描き始めたのですが、父も絵を描くので、一緒によく描いていました。大学生の時、ある教授が私の絵を気に入ってくれて、アーティストになるべきだ、アーティストとしてお金を稼ぐべきだと助言してくれました。そして、彼女は私の絵を注文してくださり、最初のお客さんとなってくれました。
Q6: 大学で英語を学ぼうと思ったきっかけは何ですか?
しばらくリハビリに通っていたのですが、そこで私と同じ障害を持つ人に出会いました。英語の先生である彼のお母さんは、福祉が日本より進んでいるから、息子さんを海外に行かせたいと言うのです。日本はとてもきちんとしているし、私はすでに日本の福祉サービスを受けており、それで十分だと思っていました。でも、聞いただけではわからなかったので、実際にどんなものか見てみたいと思いました。
小学校から高校までの約9年間、大学に行く前の学生時代は、いろんな人にいじめられました。実はその頃、日本があまり好きではなかったんです。だから新しい世界を見てみたくて、海外に行きたかったのです。小学生の頃から英語を勉強し始めたので、英語の勉強が得意なことは分かっているので、高校生の時にその女性と出会って海外に行こうと決めました。英語は新しい扉を開けてくれるし、それによってもっといろいろなことができるような気がしました。今では日本も大好きです!
Q7: マサチューセッツ大学の障害者アドボカシー・リーダーシップ・プログラムに参加して、どのような経験をしましたか?
とても楽しかったです。けれど、とても戸惑ったことを覚えています。例えば、上司は私に自分で決断をさせます。でも海外に行く前、このプログラムに参加する前は、母がいつも私の横にいて、私の代わりに決断しようとしていました。だから、母の許可が必要だと思っていたのです。母はいつも「あれはダメ。これはやめなさい。あれはダメ。こうしなさい」と言っていました。だから自分で決断することは難しく、慣れていなかったのですが、ボストンでは自分で決断しなければなりませんでした。
最初は上司も厳しそうだったし、カルチャーショックもありました。しかし、だんだん慣れてきて、やりたいことを自分自身で決断をできるようになったのです。
それが自分にとって良いことであれば、両親の意見を聞かずとも、自分がやりたければやれば良いのだと気づきました。正直、慣れるまでは上司が怖かったですが、慣れてからは、優しいし、擁護してくれたり、自分で決断することを良しとして、サポートしてくれようとしていることに気づきました。だから怖くなくなったし、今では彼女のことが大好きです。
Q8: 自分にとってTOMODACHIとは何ですか?
TOMODACHIで多くの友人ができました。同時期に参加した仲間とは、今でも連絡を取り合っています。そのうちの一人に3日前に電話をしました。
TOMODACHIの最終プレゼンをしたとき、TOMODACHIのスタッフである朝倉愛以氏が、私の写真を見て、福岡に住んでいることに気づいてくれました。彼女も福岡に住んでおり、その写真の中に、よく行く美容室が写っていたからです。「結、福岡に住んでるんだ!」と話しかけられたことから近所に住んでいることもわかり、3回ほど会う機会があり、前回は私の家に来てもらいパーティーをしました。TOMODACHIのおかげでたくさんの友人ができました。
実は自分の声が嫌いだったのですが、みんなが「声がかわいい!」と言ってくれたおかげで、自分の声に自信が持てるようになりました。私の仕事では、ロボットと一緒に声を使うので、声が大切なのです。だから、みんなには本当に感謝しています。そして、自分の実力にがっかりすることもあるのですが、みんな、あなたは毎回ポジティブに見えるって言ってくれるのです。そんなことはないんです。プログラムが私にポジティブなパワーを与えてくれいているのです。だから、このプログラムのすべてに本当に感謝しています。
Q9: TOMODACHIや米日カウンシルが地域社会におけるいくつかの課題に取り組む上で、どのような機会があるとお考えですか?
何度も繰り返し海外に行きたいので、その国の環境、特に福祉のこと、そこで何が受けられるのかをもっと知りたいと思っています。もっと人と交流して、自分のプランを見つけたいです。私の周りにいる友達も、海外に行きたいという人は多いのですが、情報が少ないのです。だから、TOMODACHIのプログラムがその人たちの役に立てたら、自分も、その人たちも嬉しく思います。
このインタビューは2024年2月7日、ハンナ・フルトンによって行われました。ハンナは現在、TOMODACHI アラムナイ・リーダーシップ・プログラムのインターンであり、米日カウンシル渡邉利三寄付奨学金2022-2023の修了生でもあります。またインタビュー記事は、TOMODACHIアラムナイ・リーダーシップ・プログラムのインターンの金子文が書き起こしたものです。