TOMODACHI アラムナイ・ ハイライト:佐藤勇樹氏(2023年TOMODACHI次世代サミット2023より)
今回のTOMODACHI Alumni ハイライトは、TOMODACHI次世代サミット2023のレセプションでの佐藤勇樹氏のスピーチです。
佐藤氏は、TOMODACHIサマー・ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム2016のアラムナイです。
プログラム参加中に訪れたアメリカのファーマーズマーケットに興味を持ち、日本に帰国後、自分で野菜を作りながらファーマーズマーケットを実践する活動に携わりました。その過程で住民サイドに立ったまちづくりに興味を持ちましたが、そのためには行政が組織内で、どのような役割を果たしているのか知る必要があると考え、福島大学行政政策学部に入学しました。
在学中は、2011年に故郷の福島を襲った東日本大震災と津波についての語り部としての活動や、復興行政を中心に勉強しました。大学卒業後、福島の教育NPOに就職し、高校で商品開発の指導に携わります。
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みなさん、こんにちは。
TOMODACHIサマー・ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム2016アラムナイの佐藤勇樹です。
私が参加したプログラムでは、岩手・宮城・福島の高校生100名がカリフォルニア州バークレーに滞在しリーダーシップや地域貢献を学びます。現在、私は福島のNPOで働いていて、高校生が地域の方と一緒に活動に取り組めるような環境づくりに携わっています。
2011年3月11日、私が11歳だった時に東日本大震災が起こりました。
その日の朝、いつものように「いってきます」といって家を出た時はまさか帰ることができないとは思っていませんでした。その後、私がようやく家に入れたのは、3年半後、2014年の夏でした。まだ避難指示が出ていたので家で寝ることはできませんでしたが、片付けのために一時的に戻ることができました。
地震で揺れたあのときのままの自宅の状態を見て驚きました。屋根瓦は落ち、フェンスやブロック塀も倒れたまま、壁のひび割れ、そしていたるところにカビや動物の死骸がありました。私にとっては初めての帰宅でしたが、他の大人たちは町に戻っていたので、3年半経っても何も変わっていないことにショックを受けました。
当時私は、大人はあらゆる面で何でもできる存在だと思っていましたが、原発事故など、どうにもできないことがあの震災で起きたのだと気づくと同時に、翌年から高校生になる自分にも何か町の復興のためにできることはないかと思うようになりました。高校生である自分に何ができるのかが分からず悩んでいたそんな時に、TOMODACHI・サマー・ソフトバンク・リーダーシップ・プログラムのことを知り、参加を決めました。
このプログラムの中で、帰国後も伴走し支えてくれる大人「アダルト・アライ」と出会うことができました。家族や先生には相談しにくいことを話せる相手「アダルト・アライ」がいることは、とても重要でした。特に、困難があったときや、自分の視野が狭くて周りが見えていなかったときにこのような繋がりがあったからこそ、プロジェクトを続けられたのだと思います。
私が働いている団体(一般社団法人Bridge for Fukushima) は、プログラム参加時に「アダルト・アライ」として関わってくれていた団体です。高校生のときに野菜を育ててファーマーズマーケットを開催したのですが、先生や父兄、地域のさまざまな人たちの理解があったからこそできたことだと思います。この経験が大きかったことから、高校生がこうしたつながりを持てる環境づくりに携わりたいと思いました。
TOMODACHIプログラムで学んだことを活かし、現在は福島の高校でコーディネーターとして働いています。
コーディネーターの仕事は主に2つです。
①学校と地域をつなぐコネクターになること。生徒が地域のさまざまな人に会って話を聞き、ニーズが何なのかをよりよく理解できるように手助けすること
②生徒と一緒にアクションプランを練り、アイデアを深める手助けをすることです。
これまでそしてTOMODACHIプログラムに参加中は、このようなつながりを受け取る側でした。しかし今は、私がつなぐ側になります。
どのようにすればコミュニティ内で最良のつなぎ役となり、学生たちをサポートできるのか、まだまだ勉強中ですが、これまでの経験を活かし私にしかできないことをやっていきたいと思います。
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この紹介文は、TOMODACHIインターンのハンナ・フルトンが執筆しました。ハンナは現在、TOMODACHIアラムナイ・リーダーシップ・プログラムのインターンであり、米日カウンシル渡邉利三寄付奨学金2022-2023の修了生でもあります。