プログラム参加者・TOMODACHIアラムナイに聞いてみました!:アリカ・ゲレロ氏
今回のインタビューは、2016年度TOMODACHIカケハシ イノウエ・スカラーズプログラムの卒業生、アリカ・ゲレロ氏にお話を伺いました。
アリカ・ゲレロ氏は、ネイティブ・ハワイアンの生徒が通うカメハメハ・スクールズ・マウイ校でハワイ語、ハワイ文化、ハワイ史を教えています。最近、初の著書『No nā Akua Hula: He Kālailaina o nā Mele Pule i Pili iā Kapo lāua ʻo Laka』を出版したばかりで、彼の目標はハワイの母国語を存続させ、活性化させるために尽力することです。
Q1: 最近出版された本について少し教えていただけますか?
今回出版した作品のタイトルは『No nā Akua Hula: He Kālailaina o nā Mele Pule i Pili iā Kapo lāua ʻo Laka』(フラの神々: カポとラカにまつわる祈りの分析)と言いまして、私が長い間取り組んできた修士論文の集大成でして、ついに出版され、入手可能となりました。集約するにあたりかなりの年月がかかりました。この作品は、フラにまつわる伝統的な神々への107種類の祈りを集めたものです。フラについては広く知られていますが、フラの宗教的な側面についてはあまり知られていません。私は、ビショップ・ミュージアムやハワイ州立公文書館、ハワイ語新聞保管所のアーカイブを時間をかけて深掘りし、この祈りを私たちの意識に取り戻したいと思いました。この作品の中には、私が調べ集約した祈りのすべてを掲載しており、その意味、私たちの文化、私たちの言語、そして私たちが今いる場所についての情報の分析も行っています。ハワイの文化について、ハワイのスピリチュアリティや伝統的な宗教について学びたいという欲求がとても強いものですから、この作品が人々にとって興味深いものであり、ハワイ語とハワイ文化を活性化するために、私たちの取り組みが寄与することを願っています。
Q2: この本はすべてハワイ語で書かれているのですか?
そうです。そこが最も誇りに思っている点の一つです。このようなことを研究する場合、母国語で行うことはとても重要です。また、母国語での本の印刷を標準化し、このリソースを私たちのコミュニティで利用できるように促進していきたいと考えています。
Q3: TOMODACHIカケハシ イノウエ・スカラーズプログラムに参加しようと思ったきっかけは何ですか?
私はハワイ大学ヒロ校のハワイ語カレッジ、Ka Haka ʻUla O Keʻelikōlaniの学生でした。このプログラムの話を聞いたとき、日本に旅行できるなんて、とても楽しそうで、またとない機会だと思いました。同じように言語と文化の活性化に情熱を燃やすクラスメートと一緒に行くことは、非常に貴重なことだとも思いましたし、旅行中ずっとハワイ語しか話さない学生や教員のグループにとっては、唯一無二のプログラムになると感じていました。私たちが学んできたことや持っている技術を、学校の外だけでは終わらせず、世界中を飛び回って海外に発信することとなり、これはまたとないチャンスだとも思ったのです。ハワイ語しか話せない人たちが日本に旅行したのは、いつ以来だろうか。私もその一員になりたいと思ったし、クラスメートだけでなく、出会った人たちとの唯一無二な思い出やつながりを作りたいと思いました。
Q4: 留学中の一番の思い出はありますか?
いくつかありますが、特に印象に残っているのは、北海道大学に行ったときのことです。ハワイから訪れた私たちにとって、雪が降っていたことはとても大きな出来事でした。札幌に行ったのも初めてでしたし、雪が降っているのを見たのも初めてでした。バスを降りると、すぐにみんなで雪原に飛び出し、雪合戦をしたんです。雪の中で、上着を脱いでいたのを覚えています。今までに経験したことのないことでしたから、私はただその瞬間を覚えているのですが、とても楽しいひとときでした。TOMODACHIがなければ、私たちの多くは得られなかった経験で、本当に感謝しています。
Q5:プログラムから何を学びましたか?
これはもう7年ほど前のことですが、私たちがグループとして得た最も印象的な教訓のひとつは、自分たちの言語や文化を学ぶことに没頭するあまり、新しい土地でそれを保持しようとするときに初めて、その価値の本当の見方ができることがあるということです。例えば、私たちはいくつかの大きな文化の違いを経験しました。文化における大きな違いのひとつは、多くの人がタトゥーをしていることです。日本では、ある場所ではタトゥーが受け入れられ、ある場所では受け入れられませんでした。それと同じように、日本の先住民族であるアイヌの人たちについても学びました。彼らにもタトゥーの文化があり、そういう意味で彼らと共感することができました。また、日本人のある種のマナーや行動、文化的な要素が、私たちの文化にとても似ていることも知ることができました。また、「ああ、私たちもこうしている。なぜこうなんだろう?」このよ
うな種類のつながりや観察は、本当に新しい場所にいて、他の文化の一部になることに挑戦したときにしか起こらないのです。それは、クラスメートと一緒に旅に出なければ学べなかったと思います。
Q6:ハワイ語を母国語とする者として、北海道や先住民族であるアイヌの言葉や文化についてより深く学ぶことができたことは、どのようなことでしたか?
一つは、先住民や原住民として、世界や経験の中で孤独ではないということを思い知らされたことです。先住民や原住民であることにまつわるトラウマだけでなく、その回復力も含め。アイヌ語の教育や再生に尽力している教授たちや、日々自分たちの文化を実践しているアイヌの人々に出会ったとき、私たちがしていることは、先住民族や先住民族の権利のために必要な、実に世界的な運動なんだということを思い知らされました。私たちは何千キロも離れた場所に住んでいますが、お互いに共通点を見つけ、共通の目標を持っています。全く異なる文化を持つ同じ志を持った仲間を見つけるのは、とても興味深いことでした。
Q7:ハワイの母国語を存続させるという目標について、少し教えていただけますか?
私はハワイ語とハワイ文化を生涯勉強してきたので、教育面でもキャリア面でも、このハワイ語再活性化の努力に人生のすべてを捧げてきました。妻を含め、私の家族も同じように献身してきました。プロとしてのキャリア以外の仕事においても、私たちにとってはライフスタイルそのものなのです。例えば、私と妻はフラを教えています。私たちのスクールでは、ハワイ語を媒介にしてフラを教えるだけですが、私たち夫婦がとても情熱を注いでいることであり、人生にとってとても意味のあることなんです。同じ経験、同じ知識、同じ情熱を他の若いハワイアンの生徒たちに与えることができるのであれば、それは私が本当に望んでいることなのです。
Q8:ネイティブ・ハワイアンの生徒のためにハワイ語文化と歴史を教える教師としての経験はどのようなものでしたか?
ハワイ語、歴史、文化を教えるだけでなく、ハワイのネイティブの生徒に、しかもハワイのネイティブの生徒だけに教えることができる立場にいることは、とても恵まれていると思っています。私は現在、自身が卒業した母校で、ネイティブ・ハワイアンの生徒だけが通う、世界でも類を見ない学校で教鞭をとっています。彼らが学んでいるのとまったく同じ教室、まさにこの同じ学校で学んでいました。生徒として、大人として、教師としての個人的な経験を話すことができるんです。こういった立場にはある種の責任を伴いますが、私はそのことを常に心に留めておくようにしています。自身が卒業した学校というだけでなく、私が育った場所、私が住んでいる場所、この唯一無二の学校で、教師の一人としてこの責任を担っていることは、とても特別であり幸運なことなのです。私自身のコミュニティで、ずっと前から知っているコミュニティとつながりのある人々や家族と一緒に働くことができ、私はここにいられて本当にラッキーだと思っています。
Q9:ハワイのコミュニティにおける課題と、TOMODACHIや米日カウンシルがその課題解決のためにできることは何だと思いますか?
ハワイのコミュニティにおける課題のひとつは、私を含め多くのハワイアンたちが真摯に取り組んできたことで、ハワイの言語、歴史、文化の活性化です。他にも先住民族はいます。先ほど話したアイヌの人々や、沖縄の先住民族もおります。私たちにはアドボカシー(指示・支援)が必要だし、場所が必要、そしてお互いが必要なのです。占領国であったハワイの状況について、米国が果たした役割に責任を持つ必要があります。私は、日本という国、そして聞いている人たちにも責任を取ることを勧めたいですし、そうすることで和解に向けて前進することができます。むしろ、どのように前進していくのかという議論に入りたいものです。和解とはどのようなものか?この状況をどう是正するのか?そして最終的には、米国に住む先住民族や先住民族の未来はどうなるのか、そのために何ができるのか、と。もし米日カウンシルとTOMODACHIが、私たちをひとつにまとめ、世界中の先住民族や先住民族とつながる努力をサポートする方法を見つけてくれたら、それは素晴らしいことだと思います。私たちは自信を持つことが必要ですし、その熱意を加速させることが必要です。私たちには情熱もあり、そこには人々がいます。様々なリソースや手法でのサポートはそういったことを実現するために必要なことでもあります。
Q10: 自分にとってTOMODACHIとは何ですか?
私は若い頃、ある指導者に「友達は多いに越したことはない」と言われました。人生の後半、1年後、10年後、50年後、いつその友人や、その友人が持つ唯一無二のスキルや経験が必要になるかわからないからです。TOMODACHIのおかげで、私たちは何千キロも離れた人たちとつながることができるようになりました。私たちは経験や見識、知識を共有することができるのです。今、友情が本当に意味するものは何か、そして私たちが世界中で友情関係を活発化させると、どれだけのことができるのか。例えば、ハワイで様々な文化的、政治的な運動が起こったとき、私たちはそのような関係の力を目の当たりにしてきました。それが私にとってのTOMODACHIの意味です。TOMODACHIとは、誰かがサポートを必要としているときに、互いに協力し合うことを意味します。地球の裏側にい立って、それほど遠くはないのです。私たちは共通の何かを見つけることができるし、私たちを結びつける何かを見つけることができるのです。それが、あの旅で私が受け取ったメッセージであり、あの旅での経験でした。2017年に再び東京のレセプションに招かれ、スピーチをした後、全米に住む日系アメリカ人とつながることができ、共通の経験について語り合いました。そういったことが、私たちの世界には本当に必要なことであり、互いに必要としている経験でもあります。私たちは皆、とてもよく似ており、自分たちが思っている以上に多くの共通点を持っているのです。
このインタビューは2023年11月1日、ハンナ・フルトンによって行われました。ハンナは現在、TOMODACHI アラムナイ・リーダーシップ・プログラムのインターンであり、渡邉利三寄付奨学金プログラム2022-2023の修了生でもあります。
文字起こしは、2023年9月からTOMODACHIアラムナイのプログラムインターンである、金子文が担当しました。