TOMODACHIアラムナイがネパールを支援
2015年4月25日、ネパールの東部ラムジャン郡においてマグニチュード(M)7.8の大地震が生じ、9,000人近くが死亡、その他何千人もの負傷者が出ました。国際的にこのニュースが報道された時、TOMODACHIアラムナイは高校生から若手のプロフェッショナルリーダーまで、即座に行動を起こしました。
インドでは、平塚奏流氏が大学一年生での交換留学を終えようとしていました。彼は大地震発生の翌日にTOMODACHIイニシアチブ宛てにメッセージを送り「ネパールでの大地震について聞きました。インドでは明確な情報が把握できないのですが、何か僕が、またはTOMODACHIアラムナイができることはありませんか」と尋ねました。3.11の際に世界中からの支援を受けた記憶から、東北のアラムナイは何かしらの方法でネパールを支援したい、しなければ、という思いに駆られました。
3.11後、日本におけるボランティア活動が動き出すまでにかなりの時間を要した時とは異なり、アラムナイはネパール大地震発生後すぐにインターネットでメッセージを送り合い、ネパールでの救援活動に直接関与している大人に自ら連絡を取りました。TOMODACHIのストラテジック・パートナーであるソフトバンク株式会社の協力により、アラムナイは同僚をかばってビルの下敷きになり亡くなった叔父を持つ16歳の少女スミちゃんと直接話をすることができました。災害直後に地元ではどのようなものが必要とされているのかを尋ね、学用品を寄付することが最も素早く支援できることだと考えました。また、TOMODACHIはクラスメートと共に街頭募金を企画していたアラムナイを緊急救援組織であるイスラエイドに紹介しました。
平塚氏はインドから日本に帰国して一週間後、スミちゃんをアラムナイに紹介した組織であるJapan IsraAID Support Program (JISP)と共にネパールで緊急避難所の建設に関わるために、再び出国しました。
他方、緊急支援組織で働いていた若手プロフェッショナルのアラムナイも、地震直後に被災地へ派遣されました。中にはJ.P.モルガン証券株式会社の支援により開催された人道援助ワークショップの参加者もいました。ロビン・ルイスピースボート災害ボランティアセンター国際コーディネーターは災害直後の地元で必要とされているものを判断し、自ら三つの町に渡る100世帯に食料、マットレス、そして屋根材の緊急給付を行いました。そこで彼はアドラ・ジャパンで働く小川真以氏を始め、緊急救援を行う数人の人道援助ワークショップ参加者に遭遇しました。
ネパールへの旅行をずっと夢見ていたルイス氏は「このような状況の下でこの国に来ることになるとは思いもしなかった」と語っています。「我々が到着した時の状況は非常に深刻だった。多くの人々がトラウマを抱え、物資や人手は全く足りていないように思えた」。
TOMODACHIアラムナイ・リーダーシップ・プログラムはプルデンシャル財団の支援を受け、日本とアメリカのアラムナイが互いについて学び、交流し、その他に専門的・個人的な成長を経験する貴重な機会を得られるよう活動しています。アラムナイ活動についてより詳しく知りたい方、また、自らの活動について投稿したい方はalumni@usjapancouncil.orgまでメールをお送りください。